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ネタバレしかありません。

 

映画「ラストレター」観てきました。

むちゃくちゃピュアなストーリーを期待して観に行きましたが、一部分結構ドロドロな印象を持ちました。

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映画「ラストレター」を観た後は素敵な夕焼けが広がっているかと思いましたが、映画の印象同様曇天の空が広がっていました。

 

また岩井俊二の映画を観たいからこの映画も売れてほしいが、僕が観に行った映画館ではイマイチのようだった。

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公開2週間足らずでしたが興行収入は、1位:劇場版 メイドインアビス 深き魂の黎明、2位:カイジ ファイナルゲーム、3位:パラサイト 半地下の家族、そして4位でやっと「ラストレター」でした。

期待したストーリー展開ではなかったからかな。

広瀬すずを自殺させちゃいかんよ。

映画の予告編で予想されるような青春の淡い恋心のストーリー展開であれば、もっと入場者数も伸びたと思う。

 

もう豊川悦司が最悪だった。なんであんなんと優等生が駆け落ちしちゃうかなぁ。

それでDV振るわれて精神病んで、挙句の果ては自殺とか後味悪すぎる!

「未咲」という小説も豊悦が書かせたとか言っちゃってクソ過ぎる。

絶対そうではない。この世にあふれるモチーフを福山雅治の才能と努力が小説に昇華させたものです!

ああやって何でも自分の手柄にする奴っているよな。

一生努力もせずスラムでくすぶってればいいんだよ。

 

予告編の「あなたが結婚してくれてたらな」も、独身でいてほしくなかったの意味と思っていたら、あなたが姉と結婚してくれてたらな、の意味と知って驚きました。

また、大学へ進学して福山雅治と広瀬すずが付き合ったという事実にも驚き、思わずエッと小さく声を上げてしまった。

広瀬すずが答辞を書くのを神木に手伝ってもらって急接近した設定だね。

 

ホント、初恋の記憶、美しさ、はかなさだけを描いてほしかったよ。

なんの味気もない映画でただの広瀬すずと森七菜のプロモーションビデオに過ぎない、と批判されてもいいから初恋の記憶だけを描いてほしかった。

奥菜恵を一躍有名にした「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? 」のような感じで良かったのに。

だから、そうした部分を描いた部分は秀逸だった。

その意味で舞台を杜の都仙台に選んだのは正解だったと思う。

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仙台城から仙台市街を臨む。

映画の中にもここから眺めることができる住宅街の様な風景を認める事ができました。

山際のきれいな川の流れも仙台城の下の川のような気がしました。

 

その仙台城も観光に行くまでは仙台市の真ん中にある平城だと思っていましたが、行ってびっくり堅固な山城でした。

仙台駅からタクシーで仙台城を登っていく時に抱いた印象は、この城は落とせない!でした。

さすが伊達政宗、徳川家康と相対する気概を城を訪れてみて満々と感じました。

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仙台城にて伊達政宗像と。

 

仙台城を旅行した際に、日本三景の一つ松島を臨むことができる旅館に泊まりました。

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松島湾の朝焼けを観ながら飲むビールは最高でした。

仙台ロケであれば松島も、とも思いますが青春と松島は相いれませんかね。

 

松島を訪れる途中では、いまだ東日本大震災の爪痕を感じる事がありました。

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仙台市から松島海岸へ行く途中のタクシーからの車窓。

広瀬すずも自殺ではなく、東日本大震災で亡くなったストーリーであれば胸糞の悪さも残らなかったと思います。

それはそれで悲しみが残ってしまいますが。

 

もう一回撮り直してくれないかな、ラストレター。

森七菜のプロモーションビデオ風でいいから。

広瀬すずに一目惚れした神木に片思いする森七菜が、泣きながら思い切ってラブレター渡すシーン最高です。

長ったらしい文章でなくただ「センパイのことが好きです」、とか最高過ぎる。

もう一回撮り直してほしい。

毎年、大河ドラマの主人公、或いはその時代の歴史小説を予習の為に読んでいます。

今年は西郷隆盛が描かれるので予習をどの本でしようか迷いました。

ファーストチョイスはやはり司馬遼太郎の「翔ぶが如く」でした。

しかし、文庫本の裏を読むと、どうやら征韓論の辺りがメインの様で、安政の大獄から予習したい僕としては物足りなく思いました。

次に西郷隆盛に関する著作が多い海音寺潮五郎の本を探してみました。「田原坂」、「西郷と大久保」、「史伝 西郷隆盛」等どれも大河ドラマの予習としては足らない感じがしました。

探し回っていると、朝日文庫で西郷隆盛の生涯を描いた著作がある事が分かりました。

しかしながら、本屋で朝日文庫の棚を探しても見つかりません。

よく調べてみると現在では角川文庫で新装版として出版されている事が分かりました。

角川文庫の時代小説を多く扱っているコーナーでやっと見つけた時は非常に嬉しかったです。

第一巻の初版本を買う事が出来ましたが、発行は平成29年5月25日と1年も経っていません。

西郷どんが大河ドラマに決まって出版が決まったのでしょうかね。

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海音寺潮五郎著 「西郷隆盛」全四巻(角川文庫)

 

海音寺潮五郎の著作では「武将列伝」が傑作だと思います。史伝文学と言われるそうです。

司馬遼太郎はエンタテイメント性が多少高いと思われますが、海音寺潮五郎は様々な古文書等を掲げながら物語を進めており、史実に忠実な感じがしました。

黒船来航から将軍継嗣問題、公武合体、安政の大獄、尊王攘夷から尊王討幕への流れ等が網羅されていて明治維新を学び直すのにも最適の書だと感じました。

 

 

第一巻

西郷が江戸へ出府するところから始まり、藤田東湖らとの出会い、安政の大獄、月照との入水自殺、一度目の島流しから西郷が帰還するまでが描かれています。

西郷の純粋さ礼儀正しさと共に強情さも描かれており、後の悲劇を感じさせました。

海音寺の清濁併せ飲むタイプではないという西郷評には新たな気付きがあります。

大久保と西郷の友情も十分に描かれており、何故征韓論のみであそこまで袂を分かってしまったのかと、全巻読み終えたいまでも思います。大久保の陰謀めいたところは少しだけ描かれていますが。

島津斉彬や藤田東湖らとの出会い、邂逅の場面は読んでいて快いものです。

西郷どんでは藤田東湖が出てくるのか、誰が演じるのかが楽しみです。

「西郷どん」は良い場面が多く、島津斉彬の死とそれによる絶望、安政の大獄の苛烈さ、月照との友情と入水は名場面となるであろうと、今から感動お預け状態です。

西郷どんで郷中の仲間として有村俊斎、後の海江田信義も出ていますが、軽躁さを感じさせる人物として描かれていたので、今後の展開に注目したいと思います。

 

第二巻

西郷隆盛が島津久光に疎まれるところから、寺田屋事件、二度目の島流し、蛤御門の変、勝海舟との出会い、長州征伐、糸どんとの結婚、薩長同盟への地ならしが描かれています。

久光に疎まれた西郷を大久保利通が切々と説得する「兵庫の月」も良い場面として大河ドラマで描かれるのではないかと期待しています。

禍福は糾える縄の如しとはよく言ったもので、二度目の島流しが無ければ西郷は寺田屋事件に巻き込まれていたかもしれず、そうであれば明治維新も成功していなかったであろうと考えると、天なるものの存在を感じざるを得ません。

ここで「俺ごと刺せ」で有名な郷中の仲間、有馬新七は死んじゃうんだよね。

寺田屋事件も大河ドラマ1回分使って描かれるだろうか。島津久光の愚劣さ酷薄さをいやと言うほど描いてほしい。

ここ何年も蛤御門の変を薩摩の目線から描いた大河ドラマは無かったので、そこも楽しみです。この時長州は落ちぶれて、その後会津藩は賊軍に貶められるわけですが、常に中心に居続ける薩摩の力量はすごいものがあります。

長州征伐後の交渉において示す西郷の礼儀、温情の描かれ方も楽しみです。

この間、「西郷隆盛」では長州藩内部の抗争も詳しく描かれていますが、大河ドラマではそこまで描く余裕はないだろうなと想像します。それほど西郷隆盛の一生は壮大で濃密だと思います。

「西郷隆盛」を読んで再認識しましたが、「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」で有名な勝海舟や坂本龍馬との出会いは、この長州征伐の頃だったんですね。ここから物語はさらに面白くなってくると思っています。

「西郷どん」は史実と異なる場面が多いと言われていますが、高杉晋作と出会う場面を作るのか楽しみなところです(^O^)

また、二巻で盛んに描かれている明治維新におけるイギリスとフランスの外交戦まで描かれるのかも興味深い。

 

第三巻

第一次長州征伐後の幕府のゴタゴタから、薩長同盟の成立、第二次長州征伐、孝明天皇崩御、倒幕に向けての謀議、大政奉還、倒幕の密勅、王政復古の大号令、鳥羽・伏見の戦い、官軍東征開始までが描かれている。

西郷どんでは3月現在、徳川慶喜を擁立しようとしていますが、ここからどのように討幕へと考えが変化していくのか、変化をどのように描くのかに注目したいと思います。

また3月現在、未だに西郷どんでの坂本龍馬役が発表されていません。役者なら誰でも一度は演じてみたい役を誰が演じるのか楽しみです。

薩長同盟に際し、西郷が長州を素通りしたいきさつや、薩長ともに意固地になって同盟がとん挫しそうになる経緯、龍馬の説得により西郷が「分かりもうした、こちらから同盟を切り出しましょう」となる流れをどう描くか楽しみです。

近年、坂本龍馬を暗殺した黒幕は西郷薩摩藩であるとの主張が強くなっているように思いますが、海音寺潮五郎は否定の立場でした。全巻通して西郷はそうした陰険さは無いとの意見でしたからね。江戸薩摩藩邸焼き討ち事件も西郷の支持ではないそうです。

この本を読んで、倒幕に関し薩摩藩は一枚岩でなく、倒幕に消極的な派もあった事を初めて知りました。そこまで描くとややこしくなるので、西郷どんでは省略かな。

倒幕の密勅に向けての大久保利通、岩倉具視の暗躍と、それに西郷がどのように関わるのかも楽しみです。

倒幕の密勅が降った後、鳥羽・伏見で戦端が開かれる場面も緊張感の高いものになるでしょうね。本の中でも、いかにこの戦いが薄氷を踏むものであったか、天運に恵まれたものであったかが描かれています。

 

第四巻

官軍の東征、江戸無血開城までの山岡鉄舟、勝海舟、西郷隆盛の活躍、江戸開城後の諸問題が詳しく描かれています。最後に彰義隊戦争が描かれ、海音寺潮五郎が事情によりこれ以降は書き続ける事ができません、として物語は終わってしまいます。

後は要領だけを、奥羽越列藩同盟との戦争、廃藩置県、岩倉使節団、征韓論、西南戦争について簡潔に描かれています。

逆に、この辺は「翔ぶが如く」を読んで完結と言う事になるでしょうか。

3月現在、勝海舟役は遠藤憲一が発表されています。これは面白い海舟になるでしょうね。

鈴木亮平と遠藤憲一の談判場面が今から楽しみです。

意外と大事な江戸開城の前交渉をこなす山岡鉄舟役も気になるところですね。

彰義隊戦争では、敬天愛人の西郷隆盛と超合理主義の大村益次郎のやり取りが面白そうです。花神で有名な大村益次郎と海江田信義(有村俊斎)の衝突も描かれるか楽しみです。

また、西郷隆盛と大村益次郎の人物評に際し、大村を兵に将たる専門家、西郷を将に将たる英雄としているところに海音寺潮五郎の西郷に対する敬愛ぶりが分かります。

廃藩置県こそ明治維新そのものだ、との評価でしたが大河ドラマとしては地味になりそうで描かれない気がしていますが、久光が花火上げたりするから面白く描かれるかも。

西郷隆盛の下野に関しては征韓論を描かずにはならないでしょうが、NHKが征韓論をドラマ化するかが興味深いところです。西郷と大久保が袂を分かつ大論争の場面になるでしょうから、描けば非常にドラマチックになるでしょうね。

大久保が西郷を追い出す要因は大久保が国内体制強化のため内務省の必要性を痛感し、それを西郷は必ず反対するとの予測に基づくものという分析には感心しました。

目的のためには手段を選ばない大久保らしさを如実に示していて興味深いです。

そして西南戦争の悲劇で西郷どんは終わるのでしょうね。

見たいような見たくないようなラストとなりそうです。

武将列伝の西郷隆盛の項でも示されていたように、永久革命家の悲劇を描き切っていただきたいです。

 

僕は関ヶ原の戦いを思う時、豊臣秀吉ファンであるため、豊臣恩顧の大名が何故一致団結できなかったのかが悔やまれてなりません。映画「関ヶ原」が公開されるので、司馬遼太郎の「関ヶ原」を再度読み返してみました。

 

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司馬遼太郎著 「関ヶ原」 (上巻・中巻・下巻)

上巻

秀吉と三成が出会う三杯の茶の有名なエピソードから始まり、関ヶ原の戦いを前に前田利家の妻お松が自ら江戸へ人質に向かう場面までが描かれています。三杯の茶のエピソードの他にも、三成に過ぎたるものと言われた島左近を高禄をもって召し抱える魅力的な場面も描かれており、十二分に読書を楽しむことができます。

その中で、豊臣恩顧の大名内での対立の深まりが描かれていきます。この対立軸は何なのかと残念に思うのだが、様々な対立軸が示されていて面白い。例えば、近江長浜派(三成)と尾張派(福島正則や加藤清正)、頭対体 思考対行動などです。石田三成と加藤清正の対立は豊臣秀吉からの愛情をどちらが受けるかといった嫉妬の争いという視点が面白かった。

上巻では、関ヶ原の戦いに向け、潔癖さにより三成が豊臣恩顧の大名に対し悪手を次々打っていくのが歯痒くて仕方ありません。そして、そうした対立を家康に次々付け込まれていく残念さといったらないよ。

対立の深まりの中で、利があるから人が集まるという見解が提示されていて、司馬史観がブレてないなと感じさせます。近年、歴女の間では石田三成ファンが多いようですね。大人しくしていれば、そこそこの大名として生き残っていけたものを、三成一人義に生き義に散っていくところに、忠臣蔵の赤穂浪士に対する感情に似たものを日本人に抱かせるのでしょう。

中巻

上杉景勝・直江兼続コンビと石田三成・島左近コンビによる関ヶ原に向けた謀議を計る場面から、小山評定が開かれる場面までが描かれています。

こうしてみると、上巻で対立の深まりを描き、中巻で関ヶ原の戦いに至る過程を描き、下巻で関ヶ原の戦い本戦が描かれるという配分が見事になされていると感じます。

直江状の口語訳も記されており永久保存版といったところです。

今川義元に人質となっていた時からの関係である忠臣鳥居元忠と徳川家康との伏見城涙の別れの盃の場面や、石田三成と大谷吉継の友情の成り立ちなど、関ヶ原の戦いに向かうエピソードが散りばめられ魅力的な巻でした。

また、小山評定から万千代こと井伊直政の活躍が目立ちだしますし、真田昌幸の生涯も列伝風に描かれるため、「真田丸」や「おんな城主 直虎」と関ヶ原の戦いのつながりを意識できる巻となっています。そして、関ヶ原の因縁(徳川幕府と薩摩島津家・長州毛利家との確執)は明治維新につながっていくため、来年のNHK大河ドラマ「西郷どん」にもつながっていると言ってもいいでしょう。

下巻

関ヶ原の戦いに向け各大名が関東から西へ下っていく場面から、関ヶ原の戦いに負け石田三成が六条河原で斬首される場面が描かれ、司馬遼太郎独特の余韻を持たせる記述がなされ巻を閉じている。

この期に及んでも東軍に付くか西軍に付くかで迷う武将の姿に失望するのに対し、少しずつ将器を見せ始める石田三成の姿を雄々しいと感じます。それ故、将器を示し始める時期の遅さを惜しく感じ、立場が人をつくるとの言葉を再認識しました。しかしながら、岐阜城攻防戦やその他前哨戦、情報戦において引き続き悪手が散見され、戦略眼の無さが露呈されました。結論的には、逡巡する東軍を引き締める徳川家康の将器にはかなわなかった、というのが事の深層とみていいでしょう。いわゆる、勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、です。

関ヶ原の戦い前夜、決戦場へ向かう際の渋滞により東軍と西軍同士が渋滞してかち合っていたがお互い無視した、というエピソードを読むたび当時の兵法、人情と言ったものに不思議を感じます。また、開戦直前、隆慶一郎著「影武者徳川家康」において家康暗殺の場面として描かれているエピソードも司馬遼太郎著「関ヶ原」でもしっかり描かれており、家康陣内でいざこざがあった事は史実であることが分かり面白かったです。

中小企業診断士としては、戦術家にとって大切なのは少しでも多くの情報と事実であり、べきであるといった観念論はむしろ有害、と島左近に語らせた認識は経営に通じるものがあり勉強になりました。

「関ヶ原」は、将器とは何か、情報戦の大切さ、人情の機微等、戦という極限状況を通して人間を学ぶことのできる卓抜した歴史小説となっています。

 

 

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の理解を深めようと

梓澤要著、「井伊直虎 女にこそあれ次郎法師」 (角川文庫)を読みました。

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「井伊直虎 女にこそあれ次郎法師」

 

もう1冊高殿円著、「剣と紅 戦国の女領主・井伊直虎」 (文春文庫)も読みました。

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「剣と紅 戦国の女領主・井伊直虎」

 

大河ドラマに「おんな城主直虎」が決まった時、井伊直虎を題材した小説は「剣と紅」ぐらいしか見当たりませんでした。読んでみるとかなりファンタジックな感じで書かれた歴史小説だなとの印象を持ちました。女性の第六感の様なものが強調されていたのでそう感じたのかもしれません。

その後、数々の井伊直虎ものが発表されましたが、中でも決定版と言えるものがこの「「井伊直虎 女にこそあれ次郎法師」ではないかと思われます。

双方の本が共に直虎のいいなずけ井伊直親の父、直満が小野の讒言により処刑され、直親の危機脱出に奔走するところに初のハイライトを設けているところが同じです。やはり、この場面は手に汗握らせるものがあります。

「井伊直虎 女にこそあれ次郎法師」は文量もあり、直虎の物語が丁寧に描かれており、中でも桶狭間の合戦シーンは非常に迫力があり、著者の力量が示されています。

その他、今川家の命令で現浜松城である曳馬城を攻めさせられるシーンも絵になる場面ですが、大河ドラマではサクッとナレーションで済まされたのは驚きでした。

中野直由の討死シーンは前半の主要キャストであるため劇的に描く事が出来たと思うのだが。また、井伊直平の毒殺シーンもドラマチックに描かれた筈なんだけどな。

その井伊直平の毒殺ですが、首謀者とされるのが曳馬城の女城主お田鶴です。僕が初めて見た大河ドラマ「徳川家康」では竹下景子が演じ、美しく儚げに描かれていたので、この「井伊直虎 女にこそあれ次郎法師」を読んだ時はとんだ悪党じゃないかとビックリしました。

どちらからの視点で描くかにより見方が変わるものだと実感した逸話です。

さて、「井伊直虎 女にこそあれ次郎法師」、「剣と紅 戦国の女領主・井伊直虎」共に井伊直虎の物語である為、井伊直政が徳川家康に謁見するまでがメインストーリーとして描かれています。

現在、5月の時点で今川義元、井伊直親はもとより中野直由、井伊直平まで亡くなっており、NHK大河ドラマでは双方の本の大半が描き切られている状況です。

この先何を描いていくのかと心配になる程です。

おそらく、鬼ちゃんこと菅田将暉の井伊の赤鬼としての活躍も多く描かれるのではないかと思います。それはそれでワクワクする展開ですね。

まだまだ半年過ぎていませんが、今後の井伊直虎、井伊直政の活躍を楽しみたいと思います。

 

今年は大河ドラマで「真田丸」をやっているので、それにちなんだ読書が多くなっている。

「獅子は死せず」は大阪冬の陣、大坂夏の陣における豊臣家股肱の臣毛利勝永を描いた小説である。

今年の初めに司馬遼太郎の「城塞」を読んだが、真田幸村に注目しすぎて毛利勝永の存在感を感じる事は無かった。

改めて少し「城塞」を読み返してみると毛利勝永の活躍も見て取れた。

「城塞」における毛利勝永と言えば、「海からきた男」というイメージであろう。

 

その「城塞」において「海からきた男」として列伝風に語られるくだりを詳しく述べた部分がこの「獅子は死せず」の上巻に当たる。

「城塞」ではいざ大阪となり毛利勝永が喜び勇んで大阪に駆けつけた事になっているが、

この「獅子は死せず」ではかなりの逡巡を見せているところが面白い。

それどころか、徳川方で大坂の陣に参戦しようと苦心した跡が見えるのである。

それが大坂方で参戦となるくだりが上巻の見せ所となっている。

 

そして上巻の白眉といえばやはり、「山田四郎兵衛」という人物であろう。

読んでいて毛利家家臣と同様僕もこの人物に対しイライラが募って仕方がなかった。

それが最後には涙物の行動を取るあたり千両役者であろう。

「城塞」でも「山田四郎兵衛」の名は登場し忠臣として描かれているが、

中路啓太の筆になるとこうもドラマチックで魅力的な人物として詳しく描かれるのかと感心した。

上巻は「山田四郎兵衛」の活躍による土佐山内家出奔がメインストリートなっている。

 

下巻は当然ながら大阪夏の陣が中心に描かれている。

大坂夏の陣のスターと言えば真田幸村であるが、

その赤備えの特攻も毛利勝永の勇戦無くしては無しえなかったことがよく分かる小説となっている。

また、大坂参陣当初の毛利勝永と真田幸村の関係が面白く描かれている。

真田幸村は大坂の陣での鮮やかな戦ぶりにより爽やかなイメージがあるのだが、

少々屈折した人物として描かれているのが新鮮だった。

それも最後の時になれば肝胆相照らす仲になっているところがナイスストーリーである。

その最後の戦闘シーンでは毛利勝永の戦場中央部における揉み合い混戦の中、

真田幸村がガラリと空いたサイド攻撃を仕掛ける事により徳川家康本陣に特攻をかける事ができた事が理解できた。

よく理解できると共に、戦闘シーンの描写が血沸き肉躍るものとなっている。

 

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中路 啓太著 「獅子は死せず」(上巻 下巻)

現在、ヨーロッパではEURO2016が開催されている。

前評判の悪い時のイタリアは強いと言われるが、今回もそうなっている。

堅固な守備からのカウンターアタックが決まっているのだろう。

組織的な守備からの組織的がカウンター攻撃が文化として根付いているから成功する。

ひるがえって、大坂夏の陣における豊臣方は大坂牢人五人衆と言われるスターが存在するものの、

所詮は牢人の寄せ集めであり組織立っていなかった。

そこが真田幸村のカウンターアタックが決まらなかった要因であろう。

豊臣ファンであるだけに残念で仕方がない!

 

ともあれ、魅力的な武将が数多く登場し、特に毛利勝永という新たな魅力的武将を詳しく知る事ができる面白い物語であった。

柴田錬三郎著「猿飛佐助」(文春文庫)は戦国時代一のトリックスターである猿飛佐助の話から始まる。

書籍名としては猿飛佐助となっているが、同時代に活躍した真田十勇士の列伝といった形を取っている。

この「猿飛佐助」に次ぐ「真田幸村」と2冊で1対の上下巻構成のようなものだ。

現在、大河ドラマで「真田丸」が放送されている事もあり、僕は言わば下巻にあたる「真田幸村」から読んでしまった(泣)。

 

ゴールは大坂夏の陣なのだから、史実的には結果は皆様ご存知の通り。

こうした伝奇時代小説では、真田幸村が薩摩に逃れて生きていたといった話もある。

この柴田錬三郎の柴錬立川文庫版がどのような結末かは読んでのお楽しみ!

 

歴史物はよく読ものだが、不思議と今まで猿飛佐助の話は読んだことが無かった。

昭和の時代、あるいは戦前の子供達は立川文庫を読んで初めて歴史に親しんだようだ。

こうした伝奇ものに出てくる忍者は、娯楽の少ない時代において子供たちの心を勇躍させた事は想像に難くない。

かの本田宗一郎も立川文庫が歴史的知識の元だと語っていたとの事だ。

 

この本は真田十勇士の副題が付いているが、織田信長も出てくるし、淀君や柳生の章もあり戦国時代を多面的に楽しめる。

やはり伝奇時代小説と言えば忍者と柳生である。

あとは隆慶一郎の「一夢庵風流記」に出てくる前田慶次のような傾奇者だろう。

 

現在のような不透明な時代、閉塞感が漂う時代だからこそ、

こうした豪放磊落な武将やトリックスターが暴れ回る小説が読まれるようになる。

大河ドラマで「真田丸」が取り上げられ、豊臣秀吉や徳川家康を相手に

弱小国衆である真田昌幸・信繁親子が躍動する話が盛り上がるのも納得だ。

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柴田錬三郎著 猿飛佐助 真田十勇士 (文春文庫)

 

真田丸では徳川家康、本多平八郎忠勝主従のおにぎりコントが話題だが、

せっかく三谷幸喜が脚本を書いているのだから猿飛佐助ももっと型破りに描いていいとおもう。

まさに伝奇的大河ドラマ!

 

柴田錬三郎著「真田幸村」(文春文庫)は真田十勇士らを列伝風に書いたものである。

購入後、読み進めていくうちにシマッタと思った。

現在、柴田錬三郎の本は文春文庫から3冊出ているが、真田十勇士の副題をもって「猿飛佐助」も販売されている。

この2冊は真田十勇士の列伝体をとりながら各武将が時系列に語られており、

「猿飛佐助」が「真田幸村」より順番的に前の時点が語られている。

僕はもう「真田幸村」を最後まで読んでしまい結論まで分かっているが、現在「猿飛佐助」を買ってきたところだ。

これから購入されようと思われる方は、是非「猿飛佐助」を先にお読みいただくように。

 

大河ドラマで「真田丸」が放送されており、これを機にこの柴田錬三郎著の「真田幸村」を読まれる方が多いかもしれない。

初めて真田幸村の物語を読む人がこの本を手に取った場合どういう感想を持つか興味深い。

この本は柴田錬三郎が書いていることからも分かる通り伝奇ものと言われる、伝奇時代小説である。

僕も好きな隆慶一郎が書いた小説のジャンルに属するものである。

隆慶一郎は漫画「花の慶次」の原作となった「一夢庵風流記」を記した作家だ。

伝奇時代小説は史実を元に作家が様々に自由な発想、解釈を盛り込んで書かれる。

 

この「真田幸村」も奇想天外な解釈がてんこ盛りで非常に楽しく読めた。

特に、何故徳川家康が長男で有能な跡取りとなる松平信康を切腹させたり、

未亡人ばかりを側室に迎えたりしたのかの新解釈が目から鱗だった。

上質な伝奇時代小説も質の高い経営戦略も、「エッと思わせた後なるほどとうなずかせるものが最良」だとの思いを持った。

 

僕としては史実に近い司馬遼太郎等の歴史小説を読んでから、

こうした史実を元にしたフィクションである時代小説を読むことをお勧めしたい。

その方が、史実の裏に潜む謎解きの楽しさ、新解釈の楽しさを味わえるからだ。

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真田幸村〈新装版〉 真田十勇士 (文春文庫)

 

「城塞」下巻は大坂夏の陣を前に空前の賑わいを見せる大阪城下の場面から始まり、

大阪城落城後日ならず家康が大阪を走り去る場面で終わっている。

上巻、中巻では滅亡に至る組織の特性を分析する余地があったが、

下巻の大坂夏の陣に至って滅亡は免れないものとなっているため、

倒産間際の人心というものを分析する以外なくなっているように思える。

 

下巻において真田幸村をはじめとした豊臣方の各武将が爽やかさを示すのに対し、東方総大将の家康の陰険さ、

いやらしさがより一層浮かび上がってくる。

司馬遼太郎の徳川家康に対する舌鋒は鋭く、やれ薄汚いだの、やれ姦物のにおいがするだの、容赦がない。

と、同時に大事業は九分九厘事が成った後の仕上が大事だという事を感じさせる。

 

大蔵卿局が尾張徳川家の婚礼の為大いに骨を折る場面は滑稽であり、

やるせなさばかりが募る大坂夏の陣の巻のなかにあって一層ユーモラスである。

ビートたけしが言う様に、悲劇と喜劇はコインの裏表と言ったところか。

 

この物語の軸となっている「小幡勘兵衛景憲」が甲州流軍学の祖であったと初めて知った。

当初は鼻っ柱が強く、粗野で、天下取りを夢想する人物であり好感が持てた。

しかしながら、世の中が治まった途端愚にもつかない男に成り下がるところには失望した。

小幡勘兵衛は徳川の間諜でありながら、豊臣家を利するような策を進言していたのは、

世の中が治まってしまえば自分の働き場が無くなる事を分かっていたからかと思った。

 

狡兎死して走狗烹らる、ということか。

逆に言えば、有能な走狗でなくただの犬なら烹られることはない。

事実、豊臣に恩を受けていながら早々と徳川に寝返ったような犬は烹られなかった。

そこへいくと、改易された福島正則は走狗であったのかもしれない。

小幡勘兵衛も走狗から犬になる道を選んだのであろう。

 

「城塞」は大河ドラマ「真田丸」が放送されることに合わせて読み始めた。

時を同じくしてシャープの買収問題が持ち上がっている。

まさにシャープは落城寸前ですが、大坂の陣と同じ構図を感じる。

戦国の気質が絶えて無くなっていることと、創業の理念が絶えて無くなっていること。

籠城者の心理は絶えず動揺していることと、瀕死の体の企業に合理的判断力が欠けること。

大坂方の各武将、その下の兵士が統一感なく働き組織の体を成していないことと、

シャープの有能な社員の退職が相次いでいること。

家康があえて無能な大野修理治長をトップの地位に就かせておき滅亡させることと、

鴻海精密工業の郭台銘が無能で保身に走るシャープ高橋興三社長の退陣をもとめないこと。

そして豊臣の為(国家の為)一人奮戦する真田幸村(産業革新機構)という構図・・・。

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大坂夏の陣をシャープ、鴻海精密工業、産業革新機構の三つ巴に擬した図

このように、「城塞」上・中・下巻を読みながらシャープと鴻海精密工業の攻防を眺めると、

落城寸前の人間ドラマと倒産寸前の会社に見られる傾向が似ていて興味深かった。

「城塞」中巻は、上巻には影も形も表さなかった真田昌幸・幸村親子の登場から始まる。

大河ドラマでも「真田丸」が取り上げられているが、やはり大坂の陣のスターは真田幸村であろう。

巻中、真田幸村をドン・キホーテになぞらえる文学史的記述があり、大いに興味をそそられたが、まさに言い得たりとの感を持った。

司馬氏の言うとおり、中世において日本はドン・キホーテの様な一時代の終わりを告げる文学を持たなかったが、

真田幸村という実人物をして時代の終わりを告げさせるところが面白いと思った。まさに、快男児といった風である。

 

中巻は、真田幸村の九度山脱出に始まり、大坂に参集する武将の列伝が語られ、

大坂冬の陣の経過が東西の人間模様と共に語られるものとなっている。

最後は大坂冬の陣の講和が成り、世に有名な大阪城の堀が埋められ、裸城になる場面で終わっている。

僕は豊臣秀吉贔屓で昔から徳川家康は好きではなかったが、城塞を読むとその悪辣非道ぶりにあきれるばかりである。

 

大坂冬の陣を眺めていると、やはり誰もが思うであろう、真田幸村が大坂方の総大将になり指揮を取らせていたら、

と言った「たられば」が浮かんできてしまう。

「城塞」を含む大阪冬の陣・夏の陣の物語は、大会社の倒産物語に似て示唆に富む。

真田幸村や後藤又兵衛のような有能な営業部長クラスがいても、秀頼社長がお飾りであったり、淀君のようなヒステリーがいたり、

大野修理治長のように危機意識は持っていてもトップの意見を忖度ばかりしているような専務取締役がいては

どうにもならない事が再認識できる。

幹部クラスが無能である分、現場の有能さ清々しさが引き立つ構成となっており、

それ故に大坂方没落のやるせなさが身にしみてくるのである。

 

中巻で驚くのは、やはり凡庸だと思っていた豊臣秀頼が以外にも有能ぶりを示す一端が垣間見える部分である。

大阪城の奥の奥で育っていたら凡庸のままであったが、大坂の陣という未曽有の危機におよび、

今まで会う事も無かった後藤又兵衛、真田幸村といった人物に出会う事で才能が開花していく部分は清新の気をもたらす。

ここでもやはり、危ない会社の見分け方ではないが、社長が現場へ行く事の重要性、社長が現場の意見を聴く事の重要性を

学ばせてくれる。

組織がしっかりしていて、取締役等の社長の取りまきが現場の意見をよく聞き、経営判断に資する情報をトップにもたらせていれば、

社長自身が頻繁に現場に行く必要は無いであろう。

 

さて、次巻はついに大阪城落城、倒産の時を迎える。

倒産におよび社長、取締役、現場がどのような人間模様を見せるのか楽しみである。

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司馬遼太郎 「城塞」(上・中・下巻)

 

毎年、新しい大河ドラマが始まると、その人物にちなんだ歴史小説を読んでいる。

今年は「真田丸」開始に合わせて司馬遼太郎著の「城塞」(新潮文庫)を読むことにした。

 

上・中・下巻に分かれており、現在上巻を読んだところだが、まだ真田幸村は表れていない(笑)。

上巻では千姫輿入れから、徳川家康と豊臣秀頼の二条城会見を経て、鐘銘事件により江戸と大坂の戦が決定的となり、

片桐且元が出奔するまでが描かれている。

その間、大坂方として加藤清正、福島正則、大野治長らの武将が描かれるが、ついに真田幸村は出てこなかった。

まだ九度山に幽閉されているからだが、この「城塞」でどのように幸村が描かれるかが楽しみである。

そのようななか、大坂方には人なし、との描かれ方が激しく、

読んでいてもこれでは戦をする前から勝敗は決まっていたとの感がぬぐえないものとなっている。

この本をよんで、「小幡勘兵衛」なる人物を初めて知ったが、非常に魅力的な人物として描かれている。

実はこの武将は徳川型の間諜であることが分かっているのだが、大坂冬の陣が始まる中で、

どのような働きをするのか非常に楽しみである。

 

大野治長はこれまで愚将だと思っていたが、以外にもこの本では有能な人物として描かれていた事に驚いた。

大坂方に人なし、との中で大野治長以外に有能な人物がおらず際立った部分もあると思う。

片桐且元は裏切り者であり、秀頼、淀君が潜んでいる場を関東方に耳打ちし大砲を打ち込ませたゲス野郎だと思っていましたが、

これはこの本でもその通りでした(笑)。

ただ、じっくり読んでみると、且元は且元で色々と骨折りしていたことが分かった。

特に方広寺鐘銘事件での大阪と駿府の間で右往左往する姿には同情を禁じ得なかった。

大坂は女の城として描かれていたが、感情的な人物の元でオロオロする姿には憐れみを感じる。が、結局は裏切り者である。

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SMAP解散騒動に擬した「真田丸」人物相関図

(戯言故お怒りめさるな(笑))

 

その他、つぶれゆく豊臣家に対し、かつて恩を受けた各武将が離れていく様は、倒産寸前の会社を見る様でやるせないものがある。

今後、大坂方は倒産まっしぐらになっていく訳だが、そのなかで様々な武将がどのような行動をとるのかが楽しみである。

大阪城落城の物語は、倒産会社の内情を鑑みる上で最良のテキストであろう。

 

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