映画「海賊とよばれた男」の公開が間近に迫っています。
本屋大賞受賞作であり、琴線に触れる戦後日本の復興を支えた男たちの物語だったので、
文庫化されてすぐに読んでいました。
百田尚樹著 「海賊とよばれた男」(講談社)
「大家族主義」を標榜し今は亡き日本的経営の本家である出光の創業者、出光佐三をモデルにした胸が熱くなる物語です。
読んでいても、出光佐三は出光家の父、出光興産の父、日本株式会社の父であったと再認識しました。
出光興産という家のためなら何でもやる親父、といった感じです。
融資を取付ける為にどさ回りのごとく銀行回りを行う姿に感動しました。
倒産の危機に瀕したトヨタ自動車を救うため銀行回りをした豊田喜一郎を思い出します。
奇しくも平成の世の中になっても日本的経営を続け日本国内にこだわっている2社であることに不思議なえにしを感じます。
敗戦に打ちひしがれた社員、国民に勇気を与えた出光佐三。
復員してきた社員が焼け野原に残った出光会館を見つけ歓喜し涙する場面も映画で描かれるでしょうか。
東京銀座の出光館、日章興産ビルと歌舞伎座
そうした仕事の無い復員兵(社員)が廃油をすくっている場をねぎらうため、
出光佐三が旧海軍燃料廠を訪れる場面がたまりません。
「店主、服が汚れます」「服など洗えば済む」・・・
まさに放送作家の書いた小説だね。
後年、東京銀行が出光興産に対して担保もなく巨額の融資を決断する理由が、
旧海軍燃料廠で黙々と仕事に取組む社員、そうした社員を家族のごとく大切にする経営者がいる組織・会社に貸しても懸念は無い
と判断したから、となる場面で銀行家はかくあるべしとの思いを新たにしました。
また、戦前の話しとして、日田重太郎という人物が出てきますが、
まさにこの人は現在でいうエンジェル投資家のような人物だったと思います。
彼は投資でもないから報告もいらない、と言っていましたが。
敗戦後GHQとの丁々発止のやりとりも一つの主題になっています。
出光佐三が通訳者に「プリーズと言うな」、と怒鳴る場面は日本人としての気概を持つことの大切さを教えられます。
西郷隆盛が言うところの「始末に困る人物」とはまさに出光佐三のような人物を言うのだろうと思います。
また、GHQの中にも心ある人物はいて、数年前まで戦火を交えた日米の間に
武士道と騎士道のような古き良きアメリカと古き良き日本の邂逅があったのだと感じます。
一方、逆に卑怯で卑屈で男らしさのかけらもない男は 立場が下の者には横柄になる
という分析は人としてのあるべき姿を教えてもらいました。
出光佐三の功績はやはり、民族資本の石油会社を戦後の日本に確立した事だと思う。
敗戦で日本国中が打ちひしがれる中、民族資本の出光興産が外資の軍門に下った途端、外資による日本蹂躙が始まり、
日本経済は外資に支配される、との気概を持つことは並大抵のことではなかっただろう。
今年、出光と昭和シェルの合併話が出た時にこのくだりが頭をよぎりました。
経済合理性から見たら合併が最善の選択肢であるかもしれないが、やはり出光には独立独歩の道を進んでほしいと思う。
そして、民族資本にこだわった会社が起こす「日章丸事件」がこの物語のハイライトだろう。
イランに特攻をしかける新田船長をだれがやるのか、今から気になっています。
今から様々な名シーンが頭に浮かんできます。
新田船長が日章丸の中で出光佐三からの檄文を読み上げるシーンなんか観たら泣いちゃうだろうな。
アバダン港に向けシャット・アル・アラブ河を遡上する日章丸を子供たちが手を振りながら迎える場面はたまらないだろう。
映画は日章丸がイギリスの包囲網をくぐりぬけ、無事日本に帰港した新田船長を出光佐三が迎える場面で終わるのだろうか。
山崎貴監督の手腕に期待です。
小説では日章丸のイラン特攻後、徳山に出光興産の社運を賭けた製油所を建設するストーリーまで描かれています。
ここも古き良きアメリカの男気を感じさせるエピソードも多いため捨てがたいですね。
GHQといいアメリカの金融機関・鉄鋼会社といい、その懐の深さに恐れ入る思いです。
新幹線から見た出光興産 徳山製油所(おそらく左端の方)
出光佐三が、日本人が誇りと自信を持っていれば、日本はいくらでもより良い国になっていく、
と語ったように今後もそうした日本でありたいと思う。
そのためにも日本、及び日本人の為に死んでいった神風特攻隊の話や、
こうした民族資本に賭けた企業家の話は語り継いでいかなければならない。
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